2016年11月11日

不純な動機

私が相談を受ける経営者の方の中に、不純な動機で事業を始めた人をしばしば見かけます。不純と言っても、この記事で述べようとしているのは、事業そのものよりも、「社長」というポジションに就いたり、肩書を持つことが最大の目的となっていて、事業を伸ばそうということへの関心は相対的に少ない人たちの動機のことです。

もちろん、このような価値観を持った人たちも、会社の業況がよいことに越したことはないと考えていると思いますが、事業そのものに関心を持って起業した人たちに比べて、事業へ向き合う姿勢が異なります。業績が高いかどうか、事業が成功したかどうかというよりも、自分が他者からどう見られているか、他社からの評価がどうかということを優先しがちです。もう少し具体的に書くと、会社の体力に見合わない大きな社屋を建てたり、派手な広告を打ったりということをしてしまいがちです。ほかにも例があると思いますが、このような価値基準で事業に向き合っていると、事業の展開の方向性として、業績を良くするかどうかというよりも評判を優先してしまい、長期的には安定した成長が望めない方向に進んでしまいます。

ここまで書いて、少し意味合いが異なりますが、稲盛和夫さんの「動機善なりや、私心なかりしか」という言葉を思い出しました。事業に取り組むにあたって、動機が不純でないということは、事業を最善な方向に向かわせるということにもつながると改めて感じました。


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posted by 六角明雄 at 08:00| Comment(0) | TrackBack(0) | コラム | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする